劇が終わって一週間。
宮古テレビ主催の「Kiroroライブin宮古島」や
初の生中継&インターネット配信の「クイチャーフェスティバル」など
劇を改めて振り返る時間もないほど、先週も盛りだくさんでした。
人権啓発劇「この空を飛べたら」の公演から一週間。
今、振り返って思うことは、
「一生懸命取り組むことができた」かなと・・・。
自分自身、今まで、ハンセン病の正しい知識、理解どころか、
病気そのものも、よく知りませんでした。
社会における偏見や差別があった、あるということも
知らないまま、この宮古島という場所へ来て、
そして、今回の「市民による人権啓発劇」の参加となりました。
今年の6月頃、市民劇をやってみないかと誘われ、ボランティア活動
から縁遠い自分にとって、少しでも役に立てるのならと決意。
夜の7時だというのに、お昼の明るさのような時期に、発声練習から始まり、
稽古も回を重ねるにつれ、役が決まっていない状態での台詞の練習で、
劇の全体像が徐々に見えてきました。
そして、季節も秋にさしかかるころ、配役が決定しました。
主人公の青年役には決まったものの、本番ぎりぎりまで、
自分自身いろいろな葛藤がありました。
演劇経験ゼロの人間が、こんなにたくさんの台詞が覚えられるのか、
ハンセン病にの正しい知識・理解が自分のような人間で本当に大丈夫か、
通常の仕事やなりやまあやぐ大会との両立はできるのか、
不安だらけではありましたが、10月の公演に向けて、
ただただ一生懸命な毎日が過ぎていきました。
そうした中、ハンセン病療養所の入所者の方から、
実際に強制隔離された当時のお話などを聞く機会があり、
自分の迷いや不安はすべて吹き飛びました。
何か自分の中からふつふつと湧き上がる
「自分達には、伝えるべきことがある」
という気持ちや使命感。
自分自身、不思議でした。
演劇経験もないため、「役になりきる」とか「本人の気持ちになって」
とかいうのに、稽古をしていても、いまいちピンと来なかったのですが、
気持ちや「意識」の問題なんですね。
そのような台詞が劇中にも出てくるのに、本当に理解不足でした。
以前から思っていた、演技者や、スタッフ、実行委員だけが満足するような
ものにはしたくないという思いが、確信に変わり、
何らかのきっかけで、「人権について考えよう」と、公演に足を運んで
下さる方へしっかりと伝えるという思いでいっぱいでした。
そして、公演。
初めての舞台は、無我夢中の2時間半でした。
それでも、年齢から来るものなのか、
いままでの他の経験からくるものなのか、
ただただ舞い上がるのはでなく、着実に「伝えるべきこと」を見据えて
演じることができたのではないかと思っています。
会場から見ると、満員の客席は、意外に凸凹に見えました。
つまり、大人だけでなく子供の方もたくさん見に来てくださったようです。
今回の演劇を通して、たくさんの発見がありました。
演劇に参加した小学生との出会いもそうでした。
数ヶ月を通しての稽古で、まったくバテることもなく、
ありあまる元気で、参加した小学生。
僕は、劇への葛藤の最中でも、いつも小学生の元気に
助けられていたように思います。
何回も同じことを注意される小学生
ゲームから手を離さない小学生
すぐ集中力が切れる小学生
それでも稽古には、大人よりもはやく来て
台詞が一言でも、自分の出番を楽しみに待ち、
「これで稽古終わり」というと喜んで帰る。
正直、訳わからん・・・
と思いながらも、ちっとも言う事を聞かないけれど、
稽古のたびに、僕なんかに抱きついてくる(タックルか?)
小学生をかわいく思っていました。
当日、会場にきてくださった小学生や中学生、高校生
そして、演劇に参加した多くの学生のみなさんが、
すぐに変わらなくても、この劇を通して、
将来につながる何かを感じとることができたなら
ありがたいなと今、改めて感じています。